本当にありがたかったです。
送別会で、いろんな人に離婚までの経緯と、私がアスペルガーの傾向があることを説明しました。
私のアスペルガーに関するみなさんのコメントは
「『空気が読めない』ことはない。むしろ人一倍読める方だと思う」
というのが大部分でした。
まあ面と向かって「前から空気が読めないと思っていた」とはいいにくいと思いますが、何の実益もないのに送別会につきあってくれるのは、みんなと誠実に向き合って人間関係を構築してきたからかなあ、とちょっと自惚れました。
まあ、仕事上はロジカルな会話をすることが多く、非言語コミュニケーションに頼ることは少ないので、あまり気にならなかったんだと思います。
女性からは、
「時々こちらの想定外の発想や発言がある。でも、それは悪いことではなく、むしろ魅力的(モテ要素)」
とのお言葉を頂戴しました。
これは、私のアスペルガー傾向がいい方に出てるんでしょうね。
いずれにせよ、私が非言語コミュニケーションに弱いことは事実だと思います。
自分の人生を振り返っても、子供のころから何となく周囲に違和感を感じていたように思います。
大学時代はのびのび過ごしましたが、会社に入った時も違和感を感じました。
私は子供時代転校を繰り返していたのですが、転校先になじめなかったり、いじめの標的にされかけたり、ということがありました。
たぶん、そのたびにパターン認識を蓄積し、TPOに合わせてふるまうことを学習したんだと思います。
それが、知人たちの「むしろ人一倍空気が読める」というコメントにつながるんだと思います。
でも、定型発達者の方々は、膨大なパターン認識なしに、理屈抜きに「共感」することによって社会性を身につけて行くんでしょうね。
彼らと私では、「空気の読み方」が違うみたいです。
アスペルガー関連の書籍に、
「定型者がレーダーを使った飛行機だとしたら、アスペルガーは有視界飛行」
「アスペルガーから見ると、定型者はテレパシーを使っているように感じられる」
という表現がありましたが、わかる気がします。
とは言え、人の考え方・感じ方はそれぞれなので、表情やしぐさのような曖昧なものに頼らず、明確に言葉で伝えないと誤解を生んでしまう、と考えるのは、異常なことなのでしょうか?
それが、今でも、どうしても理解できません。
言葉で伝えないとわからない、と思うのですが…
私と同じように感じる方(特に男性)は多いと思います。
それ、私のことかもしれません。
空気が読めないから、客にうかつなことを言ってしまい、昨日みたいに自分に腹が立ち、間違い探しっぽい指摘を偉そうにした社員にも腹が立ってしまったんだと思います。
私の離婚の原因も、私側の原因として挙げられると思います。
う〜ん、メイとの関係は壊したくないし、どうすればいいか考えてみたいです。
同じ日本人だと「あうんの呼吸」でわかってくれよ、という期待が強いかも知れませんが、文化が違う外国人とのコミュニケーションでは、アスペルガー傾向は比較的障害になりにくいと思います。
私の離婚も、まさにこれが原因でした。
でも、一方で
「言ってもらわなきゃわかるわけないやん!!おれだけが悪いんか?」
とも思います。
> 「言ってもらわなきゃわかるわけないやん!!おれだけが悪いんか?」
そういうことを自分からいうタイプでしたが、離婚時にはやはり非言語の部分がわからんのか!という言い方をしていましたね。何て自己矛盾したことを!
私の場合、今からすれば、前フリがありました。
2006年11月に家族で移住を決意し、2007年1月両家の両親に説明し、2007年4月まずは私が先にBKKにやってきました。が、2007年3月18日の大喧嘩を起点に関係がおかしくなっていきました。しばらくはSkypeでやりとりしていたのですが、2007年4月のGWに娘と2人でBKKに来たときに「もう一部屋借りたい」と言ったのです。これは、心理的に離れたいというサインでした。ヤツの中でも「まだ大丈夫だよね?頑張れるよね?」といった心の葛藤を見て取れました。
しかし、前職でコミュニケやビジネススタイルの違いに毎日もがき、タイ語を凄まじい勢いで習得する一方、元妻との関係は一進一退を繰り返し、ついに2007年8月29日、三行半を突きつけてきました。この時点でもう後戻りできなくなってしまいました。しばらくの間意味不明で、受け入れていなかったので、却って動揺はなかったです。
その1ヶ月後元妻と娘が再来タイし、話し合いを試みても一方的でした。元妻はバツ一だったし、私は元妻の父親とその頃はまだ関係がよかったので、藁をもすがる気持ちで相談を持ちかけました。
初めは誠意で対応してくれてるな、と感じたのですが、やはりそこは娘が優先されるわけで・・・ 私がAと言っても元妻がBと言えば上書きされるわけで。
2007年年末年始の一時帰国時に両家6人で話し合いを持つようにしました。が、元妻のあまりに非礼な物言いに私の父が頭に来て、連動するかのごとく母もきれ、あんなに必死に私のことをかばおうとしてくれた父(今年6月に他界)母を初めて目の当たりにし、今でも感謝しています。
で、それからメールベースでのやりとりが続いていましたが、自分の非は微塵も認めず(本人曰く「わざわざ悪いことはしない」だと)、屁理屈満載で、とにかく私の非を徹底攻撃する内容ばかりでした。養育費も、前職の給料(45,000THB)からとても捻出不可能な額でした。しかも、娘との面会権は担保しようとしません。
私は結婚していた間、その屁理屈に屈して、不利な条件を多々飲まされてきました。私の両親を初め、私の友人も「理屈っぽい」「屁理屈がすごい」「薄ら笑いが不気味」とずっと言っていたくらいです。
私は、家事については、私が得意な掃除、事務処理などは私が行うようにし、働く時間+育児時間の平均が平等になるように配慮してきたつもりです。おむつ替えもやったし、少なくても第三者が見て家事放棄とは言えない一定の実績は残したつもりです。
娘が一歳のときに娘と二人だけで10日ほど信州・乗鞍(スカイラインが自家用車乗り入れを開放した最後の年2002年でした)にドライブ旅行したのですが、育児を一人でやることの大変さも身をもって体験しました。
娘には愛情を注いできました。私は、当時娘に愛されていたと自惚れています。
・・・なんて、私の事情も語ってしまいました。
「お前みたいな非常識で冷酷な人間は初めて会った」というようなことを言われましたけどね、ははは。
元嫁は「私のお父さんはあなたのことを思って言ってるんだ」とか、
元嫁の母は
「本当の息子のように思ってたのよ」
とか言うし、この人たちはいったい何がしたいのかと、気が狂いそうでした。
子供と会えないのは辛いでしょうが(私も辛いです)、もう死ぬ気で気持ちを切り替えるしかないでしょうね。私も何度も泣きました。
女性はこういう時別人のように切り替えられて、すごいですね。
離婚を決めた後の元嫁は、知らない間に悪魔に魂を乗っ取られたのではないかと思うほどの豹変ぶりでした。
「ああ、もうおれが結婚したいと思った女性はこの世にいないんだ。同じ貌をしたこいつは、別の人間なんだ」
と思いました。